ショパンとリストのすれ違いの原因を考察
ショパンとリストをアルファベットでググろうとしたら、最近はこんな予測変換が出ました。

まさかのコミックが1位に!

最近ブログ内の画像や音声のリンク切れを修正しました(まだあるかも)。
chromeでembedタグが機能しないので、audioタグに全て変更。
audioタグを使うためにデータを全てmidiからmp3に変換するのが地味に大変でした。


この僕ショパ2巻のおまけページのサンプル画像を紹介ページに追加しました。
時間さえあれば1巻でもやりたかったですね。
歴史ものの漫画の場合、コミックス準備のため1か月連載を休んででも解説ページを充実させる意義があると個人的に思います。


さて、ここから本題。
ショパンとリストの友情のすれ違いはリストのうっかりミスが原因に見えますし、私もそう思っていました。
ショパンが心を開こうとして合鍵を預けたのにリストがそれを逢引に使ってしまったり、ショパンがパリを離れている間にショパンの弟子フィルチにリストが無料でレッスンしてしまったり、これらの亀裂はリストが原因だと思います。
でもショパンが原因ですれ違いが生じた例だと思える出来事もありそうだと気付きました。

その原因はショパンが自分の可愛さを自覚していない点にあります。
リストを超えるピアニストは人類史上二度と現れない、と言われているリストは、当時からヨーロッパ1の音楽スターでその自覚もあり、「コンサート、それは我なり」と言って聴衆を盛り上げたり、「天才は社会に役立たねばならない」と文章で発表して自らそれを実践したりもしていました。
ですがショパンは、天使で妖精、女性の様に可愛いと言われていて、同時代のイケメンアイドルピアニスト達とは別格だった筈なのに、本人の書簡からは自分が特別可愛いという自覚が全く見受けられないのです。
ショパンの曲を知れば繊細な美意識が行き届いているのを感じますし、ショパンは着るものや持ち物の流行には気を遣っていてファッションリーダーにまでなりましたが、男なのに天使で可愛いと言われる事には何のリアクションも無く、自分の容姿には自虐的なコメントを残しています。
誰よりも敏感な美意識を持つショパンが自分自身の美しさには誰よりも鈍感だったのが不思議ですね。
ショパンは相手を女性といる気分にさせたりと動揺させるほど可愛いのに、本人はそれに気付いていない。
そんなショパンは、自分の言動で相手を燃え(萌え)上がらせてしまう可能性を予測出来なかったのではないかと思われます。

ショパンが「自分はコンサートに向いてない、大衆が怖い」とリストに打ち明けたエピソードが、リストの著書に収録されています。

フランツ・リスト著「ショパンの藝術と生涯」
私はこれを読んだ時、ピアニストなのにコンサートが怖くて、自分の弱みをリストに打ち明けるショパンの可愛さにハートを奪われました。
リストも、自分に弱みを見せてくれたショパンを守ってあげたくなったのではないでしょうか。
でもショパンは守ってもらいたくてこんなことを言ったわけでは無く、自分とリストのコンサートでの様子を比較するその文章から、リストと自分はこんなに違うんだという事を伝えたかった様にも見えます。
そしてもしその言葉に隠された真意が「コンサートに出たくないからもう関わらないでほしい」だったとしたら…。

でもショパンは天性の優しくて控えめな素質のせいで、「コンサートがどんなに怖いか、自分とリストはコンサートでどんなに違うか」しか言いませんでした。
ショパンは愛嬌はあるけど控えめで自分の事をあまり語らず、察する事の出来る人だけがショパンに心を開いてもらえました。
リストは合鍵事件でやらかした様に、ショパンとピアニストとしては1番の友人でも、完全に察する事は出来なかったと思われます。
リストによるとショパンの体は相当脆くて華奢だった様です。
華奢な体と薔薇色の頬で「コンサートが怖い」と告白するショパンを見たリストはその真意を探る事無く、「ショパンのコンサートへの恐怖を和らげるために何かしてあげたい!」と衝動に駆られてしまったのではないでしょうか。

ショパンはパリで何度かコンサートを開いているのですが、1841年のコンサートだけ何故かリストが激しく関わっています。
ショパンの「コンサートが怖い」発言がいつのものかリストは書いていませんが、もし1841年のコンサートに関係があるとしたら、辻褄が合います。

ショパンはリストに「僕はコンサートに出たくないんだ!君とは違うんだ!」と伝えたつもりなのに、いつもより積極的にコンサートに関わろうとするリストに戸惑います。
リストは舞台袖に待機して、演奏後に倒れそうになったショパンを舞台に飛び出して支えにいったり、ほかの評論家の仕事を奪ってまでショパンの演奏会評を書きました。
評論家よりも音楽界に影響力のあるリストがショパンの演奏会評を褒めちぎって書く事で、ショパンを批判や誤解から守れるからです。

リストが書いた演奏会評が載っている「パリのヴィルトゥオーゾたち」
リストは時間が無い中ショパンのコンサートのサポートをやりきって、ショパンの為に良い事をしたという満足感に浸っているのが評論から窺えます。

リストがショパンの演奏会評を書くと決まった時、「リストは君を王と宣言するぞ!」と言われたショパンは、「ただしリスト帝国のね」とぼやきました。
強さは皇帝>王です。
ショパンが自分の可愛さに無自覚だとすれば、リストはショパンに与える強さに無自覚だと言えると思います。
リストが花びらに触れる様にショパンに大事に接しても、ショパンにはリストの言動はちょっと痛くてしばらく跡が残る「爪跡」に感じられたのですから。
リストはショパンを純粋に讃えて支えたかっただけなのに、ショパンはどんなにリストに持ち上げられてもリストに支配されていると感じてしまった様です。
この2人の感覚のすれ違いはどちらにも悪気は無く、性質の違いで生じてしまうとしか言いようが無いと思います。

「ただしリスト帝国のね」が載っている「決定版ショパンの生涯」

この件についてショパンは、リストのお節介な性格のせいでリストが自分のコンサートに関わろうとした、と思ったみたいです。
リストは自分が目立つ為にショパンのコンサートにまで出しゃばった、という批判が後世でされた事もあります。
でも実際リストは何をしても目立ってしまうだけで目立つ事は好きではありませんので、リストの行動は純粋にショパンの為です。
リストが関わる事で自分のコンサートが余計目立ってしまうので、大衆が怖くて目立ちたくないショパンにはリストの行動はありがた迷惑でした。
あの時コンサート嫌いを表明して、君とは違うと突き放したつもりなのに、何故リストは益々自分に関わろうとして逆効果な事をしたのか、とショパンは不思議且つ不満に思ったでしょう。
でもこの一連の出来事の原因は、リストではなくショパンにあるかもしれないのです。
ショパンの可愛い告白がリストを「ショパンを守りたい」という衝動に駆らせてしまった可能性があるからです。
自分の可愛さに無自覚なショパンは、それに気付きませんでした。


この件だけでなくショパンは人の興味を惹き付ける誤解を招く様な言葉の選び方をする事があります。
「リストはどこにでも爪跡を残すんだから!」もリストと意味深な関係があったと言わんばかりの言い方ですが、ショパンにはそんな意図は無いと思います。
ショパンは人に好奇の目で見られる事をとても嫌がっていました。
しかしショパン本人の普通の男性にはあり得ない可愛い雰囲気と、無自覚に発してしまう人の興味をそそる様な魅力的な言葉遣いのせいで、どうしても人々の好奇心の的になってしまったのかもしれません。
でもこれはむしろショパンの長所だと思います。
ショパンの天性で人を惹き付ける能力は作曲にも存分に活きています。

上記の「リスト帝国の王にされる」というぼやきも秀逸だと思います。
普通なら「リストのお節介がちょっとウザイ」とぼやきそうなものです。
ショパンの可愛さが周りの人を腐男子化させ、ショパンが総受け扱いされるという記事をこの前書きましたが、ショパン本人も自分を「何かされる側」として認識しているのが書簡から窺えて興味深いです。
「僕は食べられそうに見えて味わわれる毒キノコの様だ」
「シラミども(楽譜業者)に血を吸われる」
「リスト帝国の王にされる」

名言の数々が収録されている「ショパンの手紙」

ちなみにリストはショパンの曲を果物に例えて、その歯ごたえや味を著書で官能的に描写しています(リストは大真面目です)。
世の中の男性で自分がやられる側だと認識している人がどれくらいいるのか分かりませんが、ショパンは自他共に認める「される側」だった様ですね。

もう1つちなみに、ショパンの親友ユリアンはリストがショパンの伝記を発表した時、「リスト化されたショパン」と書き残したそうです。
リストが強過ぎるのはショパンが繊細過ぎるせいでそう感じたのではなく、ユリアンも同じ様に感じたのがこのエピソードから分かります。


1841年のショパンのコンサートについて載っている本を挙げてみましたが、1つのエピソードを調べるのに何冊もの本が必要だ、と改めて感じました。
ショパンの手紙には多くのショパンの書簡が収録されているものの、「ただしリスト帝国のね」だけは別の本でしか手に入らない情報でした。
また、それについてリストがどんな思いでショパンに関わろうとしたのかは、ショパンの伝記でなくリストの伝記や著作に目を通して初めて見えてきます。
僕のショパンの制作は、色んな所に隠された情報を集めて1つにまとめる、果てしない宝探しの様なものだったと思いました。
[2017/07/16 00:00] | 音楽家語り | page top
男性的?女性的?同時代人によるショパン像の違い
ショパン本人が優美すぎるせいで生前はショパンの曲の優美な部分しか理解されなかった、とリストが著書で書き残していますが、この言葉がショパンの人物像を読み解くキーワードだと思うんですよね。

リストやレンツの著作では何度も女性に例えられ、彼女(サンド)が出来た時はリストやキュスティーヌ等の友人達から総受け妄想をされ、コンサートを開くと音楽評論家から「優しい薔薇色の愛くるしい顔」とピアノだけでなく本人の可愛らしさを絶賛されたショパン。
これらは全てショパン本人が美しすぎて起こった事ですが、周りの動揺に対し、ショパン本人は自分がよく女性の様だと言われる事は認識していて納得もしていたけれど、自分の可愛さや美しさには全くの無自覚無関心でノーリアクションなので、ショパンがそれについてどう思っていたかよく分かりません。
でもショパンと交流した同時代人の証言を見ると、どうやらショパンはしばらく一緒にいると、相手を女性といる気分にさせてしまうという特殊能力の持ち主だと言えると思います。

ショパンがどんな人物だったのかまずは外見のデータをまとめてみます。
ショパンの印象について一番語られるのは「繊細」という言葉です。
ショパンは兵士になれないほど繊細な痩せ型で170cm43〜45kg(当時の平均身長が165cm)。
手は女性の様に小さかったそうです。
指だけでなく体全体が柔らかく、普通の人が出来ないポーズを軽々と披露していました。
サンドによると「女性達はショパンの四肢に惹き付けられた」そうなので、骨格レベルで一般人とは違う手足のすらっとしたスタイルだったのでしょう。
現代で言うと、平均男性よりやや背の高い女性ファッションモデルやバレリーナの様な感じかもしれません。
人を魅了するスタイルでしたがショパン本人は逞しいマッチョに憧れていたので、外見のコンプレックスは「ふくらはぎの膨らみが無い事」でした。
そして最新のアイテムをセンスよく身に付けるファッションリーダーで、動きが静かで上品で全身が洗練されている紳士でした。
声はリストによると、ややこもった含み声だそうです。
顔の印象は、暗めの金髪・ブルーグレーの大きな瞳・細くて高い鷲鼻・小さい口・細い顎・白い肌に薔薇色の頬です。
特に薔薇色の頬は何人もの同時代人が魅了されています。
リストがショパンを瑠璃色の昼顔に例えたのは瞳の色からの連想でしょう。
そして大人になってもずっと天使・妖精とよく言われていました。

普通のイケメンなら探せばいますが、天使で妖精な可愛い30代紳士、というと芸能人レベルでも中々いません。
これがショパンの人物像を想像する難しさにもなっていると思います。

パリではよく女性に例えられたショパンですが、全ての知り合いがショパンを女性的だと思っていたわけではありません。
同時代人でショパンを最も男性的だと見なしていたのは、なんとシューマンです。

シューマンと言えば、現実の音楽家(ショパン・クララ・メンデルスゾーン等)と自分の脳内キャラを一緒くたにして架空の脳内同盟「ダヴィッド同盟」を結成し、同盟員のテーマ曲を作曲して自費出版した、まさに現代の同人活動の様な事をしていた元祖オタクと言えるドイツの音楽家です。
そんなオタクなシューマンが意外にもショパンの事を一番男性的に書き残しているのです。
ショパン本人と沢山交流したレンツやリストの書くショパン像は女性的で驚きに満ちていますが、ショパンの楽譜からイメージされたシューマンによるショパン像は現代人が読んでもあまり違和感がありません。

シューマンはショパンの事を自身の評論で、孤高に戦う騎士の様に描写しています。
ショパンはティトゥスと「銃のかわりに音楽で戦う」と誓った通り、繊細な外見とは対照的に戦うために音楽活動していました。
シューマンはそのエピソードを知らない筈ですが、ショパンの曲からそれを感じ取っていたのです。

その時ショパンは戦う気満々で祖国を飛び出したわけではなく、音楽家として活躍したいのに一人で外国に行くのが怖くて、祖国の音大を首席で卒業したにもかかわらず何か月も地元にとどまり、親友ティトゥスにウイーンまで連れ出してもらっています。
音楽活動開始時の「銃のかわりに音楽で戦う」という勇ましい一面と「一人で外国に行けない」という寂しがり屋さんの一面。
あらゆる面で常にギャップを兼ね備えているのもショパンの魅力です。
シューマンはどちらのエピソードも知らなかったと思いますが、この時まだショパンに会った事の無いシューマンはショパンの楽譜から戦うショパンを感じ取った様です。
ちなみにリストはショパン本人を女性に例える事は多くても、曲からショパンの真意を読み取る事に関してはシューマンと同じく鋭いのが著書から読み取れます。

そこでシューマンとほかの同時代人の違いは何なのか考えると、1つはショパン本人と少ししか会っていない事です。
ショパンとシューマンの関係は、シューマンはショパンの大ファンでしたが、ショパンはシューマンの評論に感謝しながらも脳内同盟には軽く引いているという感じです。
でもシューマンはショパン大好きにもかかわらずドイツに引き蘢っていたので、2人の交流はショパンがドイツのシューマンに会いに行って発生しているのです。

もしシューマンがショパンと頻繁に交流していたら…シューマンに変化が起こっていたかどうかが気になります。
ショパンには、しばらく一緒にいると相手を女性といる気分にさせてしまう特殊能力があります(本人無自覚)。
シューマンもショパンの可愛さに魅了されてだんだん女性に思えてきたりしたのだろうか!?
もしそうなっていたらシューマンの音楽評論は随分違うものになっていたかもしれません。


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同時代人によるショパン像の描写の違いについて、レンツの「パリのヴィルトゥオーゾたち」と読み比べると興味深いです。

ちなみにシューマンの脳内同盟について、それぞれの反応はというと、
ショパン…あれは音楽ではない
メンデルスゾーン…特に触れない
リスト…いい曲だから自分のコンサートで弾いてあげるよ
クララ…ダヴィッド同盟って素敵!
[2017/06/11 00:00] | 音楽家語り | page top
ショパンとリストのおすすめ入門書
ショパンとリストについて検索しようとすると「合鍵」が表示される程、2人の関係が注目される様になってきました。
ショパンとリストについてもっと詳しく知りたい!何か専門書を読んでみたいけどどの本から読めばいいの?と思っている方もいらっしゃると思います。
初めて読む伝記本として最もおすすめなのが「パリのヴィルトゥオーゾたち」です。


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昨年改訂版が出た事に気付き、amazonでは旧版よりページ数が増えていたので出版社に問い合わせてみたら、ページ数は変更無く、誤植が訂正されたり注釈が増えたとの事でした。

伝記本や専門書は1人の人物について後世で書かれているものが多いです。
それに対してこの本の特徴は、
・ショパンとリストと実際にパリで交流してピアノを習ったレンツという同時代人が書いている事
・ショパンとリストの生き生きとしたセリフや仕草が記録されている事
・ショパンとリストの絶妙な人間関係が読み取れる事
にあります。

そしてなんといっても内容が面白いのです。
ショパンとリストの人間的な魅力が凄く伝わってきます。
ショパンとリストがお互いを理解し合った以心伝心の関係に見えるエピソードや、ショパンがリストについて嬉しげに話す事もあれば、レンツがリストの話をした途端にショパンがむうっとしたりと、予測不可能な揺れ動くショパンの心境が興味深いです。
著者レンツはかなりのチャレンジャーで、ショパンとリストという二大芸術家の前で大胆な発言や行動をしたり、失言した!と焦りながらも、2人に気に入られて交流を深めていくのが凄いし羨ましいです。

リストは見た目はクールながらも情熱と知性の塊で、スーパースターにも関わらず一市民のレンツに親切で寛大。
でも生まれながらのイケメンでヨーロパ1の天才として生きてきた人にしか出来ない雰囲気が、セリフや行動から滲み出ているのが見て取れます。
良い意味での無自覚ナルシストという感じです。
リストの母が、リストが新しい曲に感動すると動揺して疲れてしまう、と心配する微笑ましい様子から、リストが一人っ子として大事に育てられてるのが伝わってきます。

ショパンと言えば現代ではポーランドを代表する偉人ですが、同時代人の記録を見ると、あまりにも女性扱いされている事に驚かされます。

レンツはショパンに初めて会った時、ショパンの愛嬌に驚く。

次第にレンツ「ショパンはどんな代償を払っても喜ばせたい女性」に思えてくる。

終盤のレンツ「ショパンはリストの対等な妻」。

何故、「喜ばせたい友人」「対等な友」と書かなかったのか。
何故、何度もショパンを女性に例えるのか!

レンツがショパンを女性に例えたりリスショパ夫婦妄想をするのを見ると、レンツって腐男子!?と思いたくなりますが、多分そうではありません。
これは一般人のレンツを腐男子化させる程ショパンが可愛かった事を意味しているのでしょう。

ショパンが可愛すぎるせいで腐男子化してしまった人はレンツだけではありません。
リストもその一人です。
リストと言えば女性との噂が絶えないモテ男。
普段は決して腐男子ではない男の中の男であるリスト様が、ショパンがサンドと付き合う事になった時、サンドの激しすぎる愛でショパンが壊されてしまうのを危惧してその妄想を美しく官能的な文章で、著書「ショパン」に書き残しています。
実はショパンがサンドと付き合う事になった時、ほかの友人たちもショパン総受け妄想を書き残しています。
誰一人ショパンが男なのにという疑問を呈さず、当然の様にショパンを総受け扱いしている様子は、現代人の理解を超えます。
ショパン…一体どれだけ可愛かったのか…。

話戻って、ほかにもレンツはショパンを尊敬しながらも、パリジャンか!女々しい!と心の中でツッコミまくりです。
そしてショパンのあらゆる仕草と表情の美しさに見とれています。
ショパンがマイアベーアにマジ切れした時は激昂した顔の美しさに見とれ、ショパンがサンドの前でうろたえるのを見た時は「ショパンがひらひら舞っていた」と書いています。
30男のうろたえる姿がこんなに美しく描写される事があるでしょうか!
ショパンのうろたえる姿はよっぽど軽やかで美しかったのだろうと思います。
ショパンがサンドの前で威厳が無い事をリストとレンツは「可哀想」と言っているのですが、ショパンは守られる側が性に合うタイプだと思うので、ショパン自身はその状態を嘆いてなさそうだと思います。

ショパンのリストに対する名台詞「リストはどこにでも爪跡を残すんだから」はこの本が元です。
リストは繊細な花びらに触れる様にショパンに接してきたのに、ショパンはリストの言動を爪跡として感じていたからこそ出たセリフだと思います。
リストのどんな言動がショパンにとって爪跡だったのか気になりますね。
ショパンのマッチョ好きがレンツに知られていたというのもこの本からの発見です。
「僕のショパン」でこの本は情報源として大変役立ちました。
2巻にレンツの回が収録されています。おまけページにもレンツネタを描いています。
史実のセリフだけでなく、リストの視線の投げ掛け方やショパンのリアクションの仕方等、仕草や表情もレンツの書き残した情報をふんだんに盛り込んで、よりリアルにショパンとリストを描き出そうと試みました。

「パリのヴィルトゥオーゾたち」には興味深いエピソードのほかに、リストが書いたショパンの演奏会評や、レンツがショパンやリストに習ったり議論した楽譜の譜面なども収録されています。
19世紀のパリの社会や人々の様子、当時のフランス・ドイツ・イギリスの違い等も感じ取れます。
ショパンとリストに関する読みやすい専門書として、そしてリストの格好良さとショパンの可愛さにレンツと一緒にドキドキしながら19世紀パリの音楽界を体験できる本として、「パリのヴィルトゥオーゾたち」はおすすめです。
[2017/06/04 00:00] | 音楽家語り | page top
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