「ラ・マンチャの男」を観て
制作中の服やグッズを8月中に完成したかったのですが忙しくなってしまい中断。
地元に欲しい生地が無く、先月のうちに江坂の生地屋さんに行きました。
生地屋さんは画材屋さんと同じワクワク感がありますね。
今回使うのはポリエステルですがウールやシルクの良い生地を見て創作意欲が膨らみました。
いつか使いこなしてみたいです。

忙しくない筈の日に劇の予約をしてもらったのが予定が変わってしまったので寝不足状態で「ラ・マンチャの男」を観に行ってきました。
いつ忙しくなるか分かりにくいので外出の予約が難しく、自分で先の予定を入れる事は殆ど無いです。
そんな状態でも観に行ってとても良かったと思いました。
「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまってあるべき姿のために戦わないことだ」
という作品のテーマにとても共感出来ました。

折り合いをつけて妥協したらおしまいというのは自分についてだけでなく、相手にも言える事だと思います。
もし自分が何でもいいから無理したくない主義なら、相手もそうだと上手く行くでしょう。
でも自分が最善を尽くしたいのに相手が一定の水準をクリアしていればどうでもいい場合は悲惨です。
黙って従う事だけを要求し、妥協を求めてくる相手は、自分を不幸にするだけです。
その様な相手が変わってくれる事は殆ど無いので、今度こそはと期待しても無駄になってしまいます。
例えば、はじめは自分の意見が通らなくても、だんだん聞いてもらえる様になってやりたい事が出来る様になる、という説得方法がよくありますが、これは従わせる為のその場限りの言葉でしかありません。
何度か回数を重ねて信頼関係も出来てきたから自分の考えを汲み取ってくれるかなと思って意見しても、はじめに妥協を求めてきた相手はこちらの要望を無視のままの場合が多いです。
時と回数を重ねて関わってきても、私に何の興味も無く私の意見なんてどうでも良く黙って従っていればいい、と思われたままなのだろうかと虚しくなります。
まるで流れ作業の機械の1つでしかない。
それでも諦めたくないからちょっとでも良くしようと色々工夫をしてみても、工夫した部分が削られてどうでもいい所だけが残り、何の変哲も無いものが出来上がります。
その様なものが誰かの目に留まる事は当然無く、より良いものには繋がりません。
それどころか無理な要求に応じる能力が評価されてしまい、同じ様な妥協が必要なものに繋がってしまいます。

妥協を求める相手とは逆に、こちらに努力を求めてくれて最善を尽くせるものは、はじめからびっくりする程良い環境を提供して下さります。
最善を尽くせる環境で取り組んだものが誰かに評価して頂けると、同じ要素を求めて頂けるので、それもまたやりがいのあるものになります。
妥協が努力にだんだん変わっていくのではなく、実際は良いものが良い繋がりを生むのです。
私は話せばどんな人ともいつか分かりあえる筈と希望を持って忍耐強く関わろうとしてしまう方だと思いますが、残念ながらそれが当てはまらないものもある様です。
自分のあるべき姿の為に何をすべきか、自分と相手の為になる希望と努力を持ち、自分を成長させない無駄な期待や希望を見極める能力が必要だと感じている時、この劇を鑑賞してテーマにとても共感しました。
[2015/09/13 00:00] | その他雑記 | page top
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