ショパンの毒キノコは一体誰が食べたのか
「僕が食べられそうに見えて取って味わおうとされる毒キノコのようだとしても、それは僕の罪じゃない。」
ショパンがユリアン宛の手紙で自分を毒キノコに例えた一文です。

いきなり現れる毒キノコの例え話。読者に強烈な印象を与え困惑を引き起こします。
それに続けて「僕は誰の役にも立っていないのを分かっている。」とあるので、この一文は自虐文として紹介されることが多いと思います。
ショパンは病弱なせいでワルシャワ蜂起の時友達と一緒にロシアと戦えず、音楽家としてもオペラ作家になれず多くの人の助けを得て生きていることをふがいないと思っていました。
この毒キノコ発言はそれと関係があるのでしょうか、それとも別の意味が!?


このショパンの手紙にある日本語訳では主語が書かれていないので、毒キノコを誰が食べる想定なのかよく分かりません。
複数の言語でこの毒キノコ発言を見てみると色んな訳され方をしていて、毒キノコを取って味わうのが「あなた(ユリアン)」か「誰か」かの2種類の解釈を見つけました。
ショパンの毒キノコは一体誰が食べたのか、解明を試みたいと思います。


・毒キノコを食べるのがユリアンの場合
毒キノコの一文は手紙の相手であるユリアンに色々用事をお願いしつつ、曲(ポロネーズOp.40)を献呈した時一緒に書かれています。
用事もしくは曲が一見容易に見えて大変だったとしてもどうか頑張って向き合ってほしいという思いなのでしょうか。
曲について書いている場合は、ショパンの曲はキャッチーで取っ付きやすく見えて実は奥深くて複雑、という点で納得がいきます。
でもそうなら最後の「それは僕の罪じゃない」が奇妙な感じもします。
「僕の罪」は「僕のせい」「僕の責任」等とも訳せるようです。

ですがこれ全部含めて冗談の可能性もありそうなのです。
ショパンはほかの手紙でユリアンに用事を頼む時、「これをやれば罪が消えると思って頑張って!」と無茶ぶりな感じで書いています。
毒キノコ発言もそのノリと同じ文章かもしれません。
ショパンのユリアン宛の手紙からは、「有能で信頼出来るユリアンに色々任せたいけど頼み過ぎて君に嫌われたくないんだ」という感情が見て取れ、あれこれ言い訳したり甘えたりしているのです(寂しがっているのは素だと思われます)。

ということで毒キノコを食べるのがユリアンの場合は、
「僕が毒キノコみたいに役立たずなのは自覚してるけど自分ではどうしようもないから君がやってちょうだい!」
という冗談めいたノリの用事を頼む為のダメ押しの文章と言えそうです。


・毒キノコを食べるのが不特定の人の場合
ユリアンの場合とはちょっと違う意味合いが含まれそうです。
見た目だけでちやほやとアイドル扱いされることへの困惑を表した一文とも解釈出来そうなのです。

「美味しそうだと思ったのに中身は毒があるじゃないか!」
と誰かに自分自身もしくは曲を批判されたことがあったのでしょうか。
現代ではショパンの苦味こそ旨味だとちゃんと評価されていますが、当時はショパンの中身はあまり理解されていませんでした。
それとも、
「毒があるのに美味しそうなフリするなんてあざとい!」
とでも言われたのでしょうか。
ショパンの可愛さは計算ではなく生まれつきだから、「(僕が美味しそうに見えるのも毒があるのも)僕のせいじゃない」と言うのはごもっともですね。

ということで毒キノコを食べるのが不特定の人の場合は、
「僕を食べられそうなキノコだと思い込んでかじってみたら『苦い!毒があるじゃないか!』なんて勝手なこと言わないでね。それは僕のせいじゃないよ。」
という周りに勝手に誤解されることへのぼやき・嘆きの文章と言えそうです。


落胆とユーモアの混ざったこの毒キノコ発言、その真意は二通りのうちどちらに近いのでしょうか。
もしかしてどちらかではなく両方の意味が含まれているのかもしれません。
参考にした外国語版をいくつか挙げてみます。

英語…毒キノコを食べるのがユリアン
It is not my fault if I am like a mushroom which seems edible but which poisons you if you pick it and taste it, taking it to be something else. I know I have never been of any use to anyone – and indeed not much use to myself.

英語…毒キノコを食べるのが不特定の人
it is not my fault that I am like that fungus which looks like a mushroom, but poisons those who pull it up and taste it, mistaking it for something else. I know that I have never been any use to anyone — but also not very much to myself.

ドイツ語…ユリアン
Es ist nicht meine Schuld, dass ich wie dieser dem Champignon ähnliche Pilz bin, der Dich vergiftet, wenn Du ihn aus der Erde gräbst und probierst. Ich bin mir dessen bewusst, dass ich niemals irgendjemandem zu etwas nütze gewesen bin, aber auch mir selbst nicht viel.

フランス語…ユリアン
Ce n'est pas ma faute si je suis semblable à un champignon qui t'empoisonne quand tu le déterres et le goûtes. Tu sais bien que je n'ai jamais été utile à personne, pas même à moi…

フランス語…不特定の人
Ce n'est pas de ma faute si je suis comme un champignon qui empoisonne quand on le déterre et qu'on y goûte. Je sais que je île rends jamais de service à personne et peu à moi-même.

ポーランド語…ユリアン
nie moja wina, żem jak ten grzyb, podobny do szampiniona, co truje, jak go z ziemi odgrzebiesz i posmakujesz wziąwszy za co innego — wiem, żem się nikomu nigdy na nic nie przydał — ale też i sobie nie na wiele co.

これ以外にも単語が微妙に違う色々な訳があるようです。
毒キノコを食べるのがユリアンだとする訳の方が少し多いかなという感じです。
どちらにせよこの毒キノコ発言は、自分(曲)が食べられそうに見え、興味を持たれやすいことをショパン自身が言及している珍しい一文であることは確かです。
キノコを例に挙げてしまったせいで不思議で可愛らしい文になっているのもショパンらしいですね。

この一文でのショパンの意図は
「僕は美味しそうに見えるかもしれないけど、食べた人を毒してしまう役立たずなんだ」
という自虐的なユーモアだと思いますが、読んだ人に別の感情を引き起こす効果もあると思います。
ショパンファンならきっとこう思う筈。
「毒があろうがそのキノコ全部食べきってみせる!」
「むしろその毒を味わいたい!」
私はそう思いました(笑)。
ショパンにはそこまでの意図は無いと思いますが、ショパンのこのような閉じ籠りがちな言動を受けて、その意図に反してますますショパンに燃え(萌え)上がってしまった同時代人が結構いそうだと思いました。
ショパンは「何でもしてあげたくなる」「守ってあげたくなる」存在だったとリストをはじめ複数の同時代人が言い残していますので、この毒キノコ発言もそういう気持ちを掻き立てる言動の一つかもしれないと思いました。
[2018/04/02 00:00] | 音楽家語り | page top
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